射水支部
柳沢 浩 会員
柳沢 浩(2009年入会・射水支部)
人と一緒に生きる"楽しさ"に気づき、経営者の役割を学んだ
事務局が企業訪問してきました
射水支部支部長 柳沢浩さん(三和パック株式会社 代表取締役社長)のもとへお邪魔しました。
昨年9月に誕生した射水支部の初代支部長として、行政・学校・金融機関を巻き込んだ支部づくりを目指している柳沢さん。
他団体の役も多く歴任され、また、同友会以外の勉強会にも積極的に参加し学び続けておられますが、会社が良い方向に変わり始めた大きなきっかけは、やはり「経営指針を創る会」での気づきだったそうです。
会社見学
三和パック(株)は建材包装用の段ボールを製造・販売している会社です。1989年に設立され、1992年に現在の大門企業団地に本社工場を新設しました。
男女比率は12:6になっています。事務所はもともと2階だったのですが、最近事務の女性社員からおめでたという報告を受け、階段から落ちられちゃ困るということで、1階に事務所を引っ越しました。
製造している段ボールは、90%以上が建材関係に使われるため、一般梱包用の段ボールに比べて大型で加工も複雑です。
切る・印刷する・折るなど、用途に合わせた大型の機械が入っています。糊付けなど手作業で行われる工程もたくさんあります。
入会のきっかけ
高岡支部の高岡紙器印刷(株) 林昌明さん、(株)松村紙工所 松村康宏さんとは昔からの知り合いで、3人でよくつるんでいました。お互いの会社に顔を出しては、「最近仕事どうや~」という話をしていて。だけど、このままでは業界的にも、会社的にも、なんか閉塞感があるな、というのはみんな感じていたと思います。
そんな時、林さんが中小企業家同友会の話を持ってきました。林さんと松村さんはそのまま入会しまして、私は当時PTAの役員を受けたばかりでしたから、「来年入るわ」と2人に約束し、2009年に入会しました。
入会当時も他に色々役を受けていて、大変な時期ではあったのですが、他の2人に遅れて入会したので「早く追いつかんなん!」と焦る気持ちがあり、活動には積極的に参加していました。なにもわからないまま、富山商業高校でキャリアガイダンスを行っているF.P.部会にも顔を出したんですが、その時の講師の話しがよくわからず、F.P.部会は挫折してしまいまして(笑)今なら、学生達に「生きること、働くこと」というテーマを考えてもらっている意味がよくわかります。
第15期経営指針を創る会を受講
入会してすぐ、高岡支部 堀自動車販売(有) 堀豊さんから、「経営指針を創る会っていうのがあるから、受講しられ」と誘われました。何もよくわかっていないまま、とりあえず、「はいわかりました」と受けることにはしたものの、「経営理念とか社是なら聞いたことがあるけど、経営指針って何?まぁどうせ座学で話聞くだけやろ。」と思っていました。
受講してみると、まず、その場に参加している人達の話の内容が凄いなと感じました。それまで全く考えたこともないことばかり質問されるんです。私は2代目経営者として1993年に父親から会社を継ぎ、会長となった父が亡くなったのが2007年のことでした。それから約3年後に受講したわけですが、それまで経営というのは「ヒトモノカネを右から左に動かすもの」だと思っていました。一見合理的に聞こえますが、本質的には全く効率的ではないということを学び、「ヒトモノカネがきちんと動く環境づくり」こそが大切なんだということに気が付いたんです。
当時を思い出すと、社長として独り立ちしてから3年目で鼻息荒く、「俺がやってやる!」という姿勢だったんでしょうね。外に行けば社長、社長と言われ、天狗になっていたんだと思います。社内の不満も当然感じてはいたのですが、社員に対して「仕事はやって当然」「とにかくやれ」という態度でした。まさにワンマン。社長の仕事というものを、全く分かっていませんでした。
それじゃダメなんだ、ということをわかりだしたのは、経営指針を創る会の第3講目ぐらいです。その時助言者の方から言われた、「社員に謝ってこい」という言葉は忘れられないですね。私自身、社員と心が離れていることをずっと感じていたため、心にズキーン!!と刺さったんです。その言葉を受けて、右腕左腕となってくれている幹部社員3人と、ご飯を食べながら話をしました。「指針を創る会で、こんなことがあった、こんなことを言われた、心に刺さった」というような話を、みんな黙って聞いていました。本当にみんな黙ったままでしたが、とにかく自分の思いだけは全部伝えて、帰り際、「これからどうしたらいいか教えてくれ」とだけ言って別れました。
人と一緒に生きる"楽しさ"が湧いてきた瞬間
最終講の第5講直前に、とてもお世話になった方が亡くなりました。よくよく考えたら、経営指針を創る会で助言者から言われているようなことを、いつも言ってくれていた人だったんです。亡くなったという知らせを聞いたとき、「せっかく俺のために言ってくれていたのに、お礼が言えなかったなぁ...」という後悔だけが残りました。その気持ちを引きずったまま、第5講の課題に取り組んでいると、不思議なことに物事を上から見ているかのように、急に視野がひろがったんです。そのおかげで、それまで悩んでいた経営理念の科学性、人間性、社会性のつながりに気がつきました。そして、人と一緒に生きる"楽しさ"が、その時初めて自分の中に湧いてきたんです。
そして出来上がった経営指針書の冒頭には、
「人は何も持たずしてこの世に生を受けます。そして何も持たずに死んでゆきます。私の考える幸せとは、いかに人と係わり いかに生きたかが大切だと思います。出会いを生かして、そして幸せな人生を共に送れるようにこの経営指針書をつくりました。仕事を通じて、地域に対して、職場にて 共に幸せを創造し続けましょう。」と書くことができました。人の命は永遠ではない、だから私達はいかに生きるかを考える、というメッセージを込めました。
経営指針を創る会受講後
全5講を経てなんとか経営指針書は出来上がりましたが、すぐに社員に発表することはできませんでした。もう一回、半年かけて今までの課題を全てやり直すことにしました。なんとか経営理念を納得のいくものにしたいという思いがあったからです。半年後、そうして再構成した経営理念を「これから会社をこうしていきたい!」という思いを込めて発表したのですが、社員の反応は、シーン・・・。「社長、また何を急に言い出したんよ」という空気が漂っていました。
それからは、社員達から「社長あんなこと言ってたけど、本当にやるのかな?」と監視されていたと思います。ある時、先代が書いた「感謝」という字を、会社に掲げることにしました。掲げる際、社員に「この字は、亡くなった会長が書いたものです。感謝という言葉のありがたみを大切に思います。」と説明しました。
それがきっかけで、私が勉強していた「ありがとう経営」をもとに、社内の全体会で「ありがとうの報告」をするようになりました。まずは"会社の中で感じたありがとう"について、最初は私がやってみて、それからは毎月2人ずつ報告してもらいました。最初は人前でそんなことを発表するなんて恥ずかしいという声もありましたが、結果的にうまくいきました。
社員全員が報告し終わると、今度は"最近あった会社以外での感謝"というテーマで報告してもらいました。報告がほんの10秒で終わる人もいれば、原稿まで書いて報告してくれた人もいました。社員が報告してくれた内容を私が紙に書いて、社内に掲示することにしたんです。残念ながら強風のせいで紙が吹き飛んでしまったのですが、社員達は自分の話したことが掲示されていることを、嬉しく思ってくれていたようです。
2年間かけて行った感謝の報告の次に、今度は「希望」というテーマで報告してもらうことになりました。遠い夢を話すのはなかなか難しいので、1年以内の夢を語ってもらいました。それも、仕事と仕事以外の夢というように分けて、2年間続けました。取り組み始めてから4年が経ったころ、ある大きな変化を実感しました。指針創る会受講中に私の話しを黙って聞いていた右腕左腕の幹部社員達3人と、笑って話ができるようになっていたんです。
初めて社内委員会が発足
その3人のおかげで、3人それぞれがリーダーとなって、初めて社内に委員会ができました。
一つ目は、就業規則改定委員会。委員会に私は参加せず、メンバーは幹部社員含め6名です。それまでの社内規定だけでは色々と不都合があったのですが、それまでなかなか手を付けることができないままでした。例えば、「お嫁にきた人の実家の両親がなくなった時、遠方でも参列した方がいいのか?」「社員が喪主の時はどうするか、また喪主でない場合は?」「結婚式の規定は?」「お子さんの誕生と入学の場合、祝い金はどうする?」というような、細かいところまで社員達だけで話し合って決めてくれました。
2つ目は、給与規定委員会。それまで給与規定は社長一人で鉛筆舐めなめ...という風に決めていたのですが、それじゃダメですよね。これも社員だけの委員会で、人事評価と勤続年数や役職に沿った昇給表を作ってくれました。人事評価も、まずは3名の幹部が評価し、最後に私が評価するような仕組みに変わりました。
3つ目は、現場レイアウト委員会。製造現場はコンクリート打ちっぱなしの床に線が引いてあり、機械が置いてあるだけの殺風景な現場でした。床に色を塗り、作業しやすいように考えながら運搬用のレールの流れを変えたり、機械を配置したりと、みんなで考えてくれました。
委員会を開催している途中、私もなるべく会社にいないように努め、会議の進め方も全て幹部社員3人に任せていました。委員会活動は就業時間内にやってほしいという希望だけは伝えていましたので、自分達の仕事を効率よく終わらせないと会議時間をつくることができず、難しかったと思いますが、本当によくやってくれました。
以前の私の経営スタイルがワンマンだったので、自分達で考えてやってみるという機会が社内に無かったんです。ですから、幹部社員達はこの委員会活動を通じて、「自分達の手で会社を変えていけるかもれない」という実感や、「誰かに頼られることの喜び」を感じてくれたのだと思います。委員会活動はそれぞれの目標を達成し、決定事項を社内で発表し、解散しました。
実践し続ける中で、実感した会社の変化
感謝の報告を始めたころから、ほんの少しずつではありますが、会社が変わってきました。まず離職がなくなりました。経営指針を創る会を受ける前には一度にたくさんの社員が退職したこともあったのですが、定年以外で辞めることがなくなったんです。そして、10年間の連続無災害を達成できました!これらは本当に大きな成果だと思います。
これらを達成できた理由を考えると、感謝の報告や、委員会活動などをきっかけに、社員がお互いに関心をもつようになったからだと思います。委員会に参加している一般社員達も、会議中、積極的に発言していたようです。中にはなかなか溶け込めない社員もいましたが、話を聞いてみると、本人としてはそういう会議の場が別に嫌ではなかったようですね。
会議以外の休憩時間などでも、女性社員同士は前からよくしゃべっていましたが、あまり交流の無かった男性社員同士もよくしゃべるようになりました。昼食も食堂で食べずに自分の車の中でご飯を食べていた社員もいたぐらいですが、今ではみんなで話しをしながら食べるようになりました。
現在の課題は、社員全員と顔を合わせるのは毎月の全体会だけで、社員との個人面談ができていないことです。当社は日に4回の出荷があり、一人が抜けると作業が滞ってしまうため、そこをまず改善しなければなりません。お盆前の納涼祭や忘年会では、積極的に社員と話をするようにしているのですが、プライベートの話しはできても仕事の悩みは社長に直接は言いにくいみたいで。社員達は幹部に悩みを相談し、幹部達が私と社員のクッション役になってくれています。
ただひとつ今も後悔していることがあるのですが、まだ鼻息荒かった時に「退職の話しが俺のところまで届いたら最後やぞ」と幹部達に言ってしまったことがあり、今もそういった話は私のところに相談がありません。あの時「最後は俺がなんとかするから」と言ってあげられればよかったのに、と思います。
経営者の仕事とは何か
経営指針を創る会を受講したあとも、毎年助言者として参加する一番の理由は、受講生に対し「あなたは何のために働いているんですか?」という質問をし、受講生がどんな風に答え、その答えに対し自分がどう返答するか、そのやりとりが全て社員との予行演習と捉えているからです。受講生は経営者であり、社員とは視点が違いますが、それでも私が社長を続ける上で本当に大切なことが学べるチャンスです。
支部での経営理念塾でもそうですが、助言者としての厳しい一言は、実は受講生に向けてではなく、自分に向けて言っている言葉なんです。そういう意味では助言者のほうが、よっぽど精神的にきついですよ(笑)だって、目につく受講生の嫌なところは、全て自分の嫌なところなんですから。
例えば、経営指針を創る会の冒頭「人を生かす経営」という冊子を読み感想を書くのですが、私は全く感想が思い浮かばず、たった4行しか書けなかったんですね。当時いろんなセミナーや勉強会に参加し、経営に関する知識はあったため、頭でっかちになり「なるほどなるほど、やったことないけどわかるよ」という感覚で読んでいました。その感想文から、助言者からものの見事に私が社員と全くコミュニケーションをとれていないことを見抜かれてしまったわけですが、その経験のおかげで、受講生を見ているとよくわかるんです。「あ、この人は俺と同じやな」と。
「人を生かす経営」は、助言者として参加する前に毎年必ず一回は読むようにしています。読めば読むほど、書いてあることの深さに気づかされます。最初読んだころに比べて自分自身が変わってきたため、最近では経営者としての責任というより、経営者の楽しみという感覚が伝わってくるようになりました。
経営指針を創る会を受講直後は会社経営が重たくて重たくて、社員の顔が見れないような状況が続きました。受講する前から「会社はどうやったら潰れるか」という勉強ばかりしており、会社が潰れる原因は結局金でしょという考え方だったため、お金の心配や、社員が辞めたらどうしようという不安だらけだったのですが、今は全くありません。新しい仕事づくりの心配もありません。ようやく、「ヒトモノカネがきちんと動く環境づくり」を社員と共に目指せるようになったからだと思います。おかげで、私自身は経営者として将来どうしたいかというビジョンを考えられるようになりました。
私の人生の目標は、子供達に働く喜びを伝えていくことです。今後AIなどの進化で社会は劇的に変わっていくと思いますが、これからも社員と一緒に、会社を継続させていきたいです。20代の長男も入社してくれたことで、次世代を担う存在になってくれたらと思っています。実は、長男には会社に入れとか、継いでくれ、なんて一回も言ったことないんですが、自分から「いつ会社入ればいいんけ?」と聞いてくれたんです。嬉しかったですね~!!
編集後記
私も支部での経営理念塾に参加していて、柳沢さんのご質問はいつもズバリと核心をつかれるのですが、時に少し厳しすぎるのでは?と感じたこともありました。しかし今回お話を伺っていて、柳沢さんご自身が歩んできた経営者人生において、失敗したこと、間違っていると教えてもらったこと、諦めずに実践し続けたこと、それらの経験に裏付けされる「昔の俺のようになるなよ」という温かいメッセージだったんだ、ということがわかりました。
冒頭にあるように、妊娠中の女性社員さんを気遣って、事務所を1階に移動させたことや、現場で働く社員が暑かったり寒かったりしないように、これから壁や窓の断熱工事を行うことなども計画されているそうです。柳沢さんの並々ならぬ社員愛に感動し、私まで気持ちがあったか~くなりました。柳沢さん、貴重なお時間ありがとうございました。
(訪問日:2018年11月19日(月) 文:事務局 河崎)