となみ野支部
「海を超える善の架け橋」となみ野ビジネス交流委員会海外研修旅行INインドネシアその2
となみ野支部ビジネス交流委員会海外研修旅行INインドネシアその2では株式会社コージン様のインドネシア工場の見学の模様をお伝えします。
実習生の教育施設の見学、昼食をはさんで工業団地の中にあるコージンの工場にやってきました、小柴社長は昨日から帯同してくれていましたが現地責任者の宮川さんは一足先に工場に来られておぜん立てをしてくれていました。工場事務所で色々な概要の説明を受けます
宮川さんからインドネシアの様々な現状の説明を受けます。コージンのある工業団地は「MM2100」という名称で日本の大手商社が開発した工業団地で首都ジャカルタからもとっも近い位置にある工業団地です。ジャカルタから延びる高速道路沿いには多くの工業団地があり製造された製品は高速道路を使ってジャカルタの港や空港に輸送されますが、いかんせん輸送できる道路が一本しかない為渋滞がひどく我々一行もジャカルタに戻る時に渋滞の洗礼を受けます。
インドネシアで工場を造る事、人を雇うと言う事は実際に現地の人々の生活習慣、労働習慣、法律、納税など当然日本とは違う事が多いし法律の解釈も違うため様々なトラブルが起きやすいのですがそれを差し引いてもインドネシアに工場を建てると言う事は企業にとって大きな希望でありプラスなのかもしれません、しかしコージンさんはそれらとはまったく違う理由でこのインドネシアに工場を建てたのです。
↑工場の事務所、女性は事務、製造ともにイスラムの象徴であるスカーフを着けてます、ちなみに工場内にはメッカへのお祈りの場所も設けてありお祈りの時間もしっかり保障されています。
コージンさんがインドネシアに工場を造る以前から富山の本社ではインドネシアなどから実習生を迎え入れて工場で働いてくれていたそうです、しかし彼らが実習期間を終えて国に帰ってもコージンで覚えた技術を発揮できる場所が無い=働き口が無いという事態になりました、そこで前社長(小柴現社長のお父様)が「彼らの為に工場造るわ」と決意され計画に入ったところでしたが不運にも前社長が急死され進出計画に危機が訪れます、しかし現社長である小柴雅信氏が前社長の遺志を覚悟の上で引き継ぎ苦労に苦労を重ねた末、インドネシア工場の稼働にこぎつけたのです。今では工場責任者の宮川さん以外は全てインドネシアの人達が工場を運営しており製造された製品は日本だけでなくマレーシアやタイなど近隣諸国に輸出されています、また将来的には営業活動はもとより現地法人の社長もインドネシアの人におまかせしたいと思っていると小柴社長は仰っていました。
↑写真、小柴社長の右側の男性は小柴前社長時代に上市町の本社工場で実習生として働き、帰国後もインドネシア工場設立からずっと働き続けているマネージャーさんです。この方以外にも日本で働いた経験のある方は多くいますが工場設立時からいるのはこの方だけだそうです。
マネージャー氏曰く「富山に居た時は亡くなった小柴前社長には本当にかわいがっていただいてよく声をかけていただきました、私はインドネシア人の為に工場を造って皆が国に帰っても働ける場所を作ってくれた前社長と雅信社長の事が本当に大好きなのでずっとここで働くと決めたんです」
正直、この話を現場で聴いただけでもこの研修旅行は成功であったと言っても過言ではないと思いました。
見学の御礼に中島団長から小柴社長に故郷のお味を進呈、工場の門前で記念撮影、今回の参加者の皆さん(^^)
実は見学している最中からジャカルタ方面に戻る高速道路の渋滞状況が刻一刻と伝わっており40キロの道程を走るのに16時の時点で3時間半かかる!と言われて実際戻るのにそれだけかかってしまいました。なぜそのような状況になるかと言えば12か所ある工業団地から製品を輸送できるルートが一本しかない、週末だったのでジャカルタに遊びに行く人たちが車で移動するので自家用、商用が一本の道に集中するためだとか。小柴社長はさすがに渋滞に慣れっこでバスの車中でIpadを準備していて映画鑑賞(2本見れたそうです)我々は寝て渋滞を抜けるのを待つしかありませんでしたorz
渋滞を抜けジャカルタの中心部に行くとまるでシンガポールか香港はたまた新宿副都心のようなきらびやかなオフィス街に来ました、この日は小柴社長が準備してくれたオフィスビル内にある、きれいなイタリアンレストランで夕食を取りながら今日の見学の感想などを語り合いました。
東南アジアに共通して言える事は、人口も多く増え続けている、資源も多い、まだまだ未開発なところがある、そういったアドバンテージや現実的利益を求めて日本から多くの企業が進出してくる、それは受け入れる側の国にもメリットがあり多くの労働力の雇用や技術の習得にも役に立っている、しかしコージンさんは現実的な利益の前に日本の工場で働いてくれたインドネシアの人達が国に帰っても働き場所が無いと言って困らない様雇用の場を創り、それから商品の製造販売を展開し利益を出している、正に利よりも善を優先し皆で共育したおかげで順調な経営を行るようになった、そんな感想を個人的に感じました。
次回は最終回、ジャカルタ市内見学編です
となみ野ビジネス交流委員会副会長 兼海外担当 山下泰史