城北支部
堀 俊孝 会員
堀 俊孝(2013年入会・城北支部)
経営者ってなんだ、社員ってなんだ
事務局が企業訪問してきました
連日猛暑日が続く中、頭が下がる思いで訪問させて頂いたのは、堀瓦工業有限会社 代表取締役 堀俊孝さんです。
そうです、何と言っても屋根の上に日陰はない。だからと言って仕事に妥協も言い訳も絶対しない。
そんな気概がビシビシ伝わってくる堀さんに、今回は創業の経緯と経営指針を創る会を受講された経緯をお聞きしました。
創業された経緯を教えていただけますか?
「創業したのは1995年、18歳の時です。学校の教頭先生の一言でやる気なくしちゃって、勉強するより働こうと思ったことが全ての始まりなんですけど、親父がもともと瓦職人をしてたんで、誘われて、瓦屋デビューしました。しばらくは親父の勤め先でお世話になってたんですが、給料が1日働いていくらっていう考え方がなんか嫌で、その内親子で独立したいなと思うようになって。やっぱり瓦職人っていうのは、自分がやった成果(現場)がずっと残るし、仕上がりの良さを見てはニヤニヤできる、すげぇやりがいのある仕事なんで、お金貯めて独立しました。」
若くして瓦の魅力・職人の魅力にはまり、道なき道を歩き始めますが、やはり平坦な道のりではなかったそうです。
「まずは、それまでお世話になった会社の下請けからスタート。親父と僕と、社員も一人雇用して、平米いくらという請負でやってました。瓦職人としての自信はあるのに、自分達の仕事を認めてもらえず、元請けになることを断られたり、消費税増税のあおりもあって仕事が激減したりと、現実は厳しかったです。仕事がないので仕方なく親戚の仕事を手伝ってミキサー車の運転をしてたこともあったんですが、悔しくて悔しくて、泣きながらハンドル握ってました。今にみていろ、と。いつか必ず周りに認めてもらえる会社になるんだとこの時に決意しました。」
堀さんは、同友会F.P.部会のメンバーでもあり、富山商業高校で学生達に"働くこと生きること"についてお話されています。「講義中寝てしまう学生がいても、それはつまらん話しをした自分のせいです。」と、潔いお言葉。周りを変えようとするのではなく、いつも自分から変わろうと努力する姿勢は、過去の悔しい体験から身につけられたものだったんですね。
同友会入会は、どんなきっかけだったんですか?
「僕は2013年に同友会に入会したんですが、きっかけは城北支部の谷井さんに誘われたからです。谷井さんにはもともと2005年くらいからうちのホームページを作って頂いてました。谷井さんと出会ったとき、仕事は最高なんだけどなんかすごくマニアックな雰囲気の、いわゆるオタクっぽい人(笑)っていう印象があったんですが、何年か経ってお会いした時『あれ?こんな明るい人やったっけ??』と思うぐらい、谷井さんが変わってた。当時の自分は、金の計算もよくわかってないくせに、いい仕事さえしていればいいなんていう、わけがわからん状態になっていて、そんな僕を見かねたんか、谷井さんが『それやったら、同友会っていう会があるよ』って誘ってくださったんです。」
同友会入会後すぐに城南・城北支部合同の理念塾、第19期経営指針を創る会を続けて受講されてますが、最初、あまり輪に入ろうとしないというか、どちらかと言うと斜に構えた雰囲気だったとお聞きしましたけど...(笑)
「そうですね。めちゃめちゃアウェーなところに来てしまったという感覚があって。周りから質問されても質問の意味がわからんし、ずっと『あなたは職人なんけ?経営者なんけ?』って聞かれ続けて。理念塾で渡された本"人を生かす経営"を読んだ時、正直『俺には経営者なんて無理や』って思いました。
自分だって瓦が好きで、自分の腕を認めてもらいたくて独立したはずなのに、いつしか、働いてくれている社員が独立したいと言った時に阻止しようとしていた自分に気が付きました。
経営者って何なんだ、社員って何なんだ、って悩みはじめて、理念塾が終わってもモヤモヤし続けていたので、これは指針創る会を受けるしかないと覚悟決めました。僕はもっと人を大切にしなきゃいかん、社員を雇って仕事している以上、経営者としての仕事を学びたいと、純粋に思ったからです。」
指針を創る会受講後、颯爽と屋根に上がる瓦職人さんの心意気そのままに、瓦に理念を刻み、見上げる高さに掲げたところに"堀瓦工業らしさ"がありますね。
屋根瓦の特徴を語りだしたら止まらない堀さん。瓦愛が溢れています。
「現在17歳が最年少で、社員12名、パートさん3名になりました。ひと昔前のように、職人の世界も背中を見て覚えろが通用しなくなってきていますが、心意気は現場でしか学べない。17歳の彼が40歳50歳になった時、瓦屋になってよかったと思ってもらえるような環境を創ることが、今の自分の仕事だと思っています。」
事務所の隣にある、全国各地の様々な瓦や屋根材を展示したスペースは、そのまま商談スペースとしても使えます。
「20歳の時、北陸の瓦は質が悪く瓦の捨て場やという話を聞きました。それを変えていくために、まずはうちから、気合が入ったいい瓦が集まる場所にしていきたいと思って、瓦配送の仕事にも着手しています。瓦にこだわり、瓦文化を残していくためには海外支店も必要だと思っています。経営理念をつくってからやりたいことがめちゃくちゃ増えて、でも自分は一人しかいないからすぐいっぱいいっぱいになってしまって。妻に仕事を手伝ってもらうようになったのもそのため。最近ようやく人に頼ることを学びました。」
堀さんは今も「自分は職人なのか、経営者なのか」悩み続けているそうです。職人でいたい自分がいる、それだけじゃだめだと言ってくれる仲間がいる。
近い将来、生きがい世界一の瓦職人さん達が仕上げた瓦屋根を見上げて、堀さんがニヤニヤしている姿が目に浮かびます。
(訪問日:2018年7月24日(火) 文:事務局 河崎)