となみ野支部
関 翔平 会員
関 翔平(2020年入会・となみ野支部)
受け継ぐ理念と共に~バイク業界の常識を変えていく~
先代から受け継いだ理念と共に新しい挑戦
先代との関係性が変わった"キッカケ"とは?
事務局が企業訪問してきました
今回は、となみ野支部に所属されている関 翔平さんの元へお邪魔させていただきました。
関さんの会社には今年の2月に青年部会の会社訪問でお伺いしたことがあり、その際にバイク事業についてのお話を聞かせていただきました。
今回は、前回のお話に加えて事業承継されたきっかけや、先代の社長である父との関係を考えるきっかけになった『経営指針を創る会』を受講された当時の思い・気づきなどをお伺いしました。
【事業内容・承継のきっかけ】
バイク・自動車の整備・販売を中心に行っています。
先代の父が、1991年に㈲ショートオートを創業、2004年にスズキアリーナ砺波をオープンしました。
家業は車屋だったわけですが、当時中学生だった私は実は車にあまり興味がなく...。
音楽や、心理学、絵に興味がある程度でした。単純に友達が行くからと言う理由で、普通科に進学するつもりだったんですが、祖母から「なんとなくで普通科に行っても一銭にもならん。手に職を付けなさい。」説得され、高岡工芸高校の機械科に進学しました。
そこで出会ったのが「頭文字D」です。すっかり車の魅力にハマってしまって。
世界ラリー参戦が授業科目にある高山自動車短期大学に進学し、ラリーメカニックに携わりました。
在学中は遊びもせず、彼女もつくらず、ただひたすら車と向き合う生活をしていましたね(笑)
短大を卒業した後、大阪で整備士・営業の経験を積んで地元に戻り、最初はスズキアリーナ砺波で営業として働いていたんですが、当時社長であった父親の「俺の目が黒いうちに代替わりしたい」という要望もあり、2022年に㈲ショートオートの社長に私が、スズキアリーナ砺波店の社長に従兄が就任するという形で承継しました。
【同友会で学んだこと】
2020年に近江 清会員(合同会社久遠 代表社員/となみ野支部・富山同友会 前代表理事)からの紹介で入会しました。
社長に就任する1年前に受講したいと思い、2021年度『経営指針を創る会』を受けるかどうか、当時の支部長である山下 泰史さん(㈱スター・ライフコンサルティング 代表取締役/となみ野支部)に相談して、その時に良いとも悪いとも言われなかったので、自分にはまだ早いのかなと思い、申し込みませんでした。
ですが「絶対来年度の創る会は受けるぞ」という気持ちで、社長就任の年に『経営指針を創る会』を受講しました。
申し込みは誰よりも早く、一番乗りで出しました。
―受講するという固い決意があったんですね。
元々、ある程度きつい思いをしたり厳しい環境に身を置かないと自分のためにならないと思っていて。
学生時代もラリーメカニックのプロフィールに「自分の修行のため」と書いたんです。
他の人たちが「整備士になりたいから」とか「ラリーが好きだから」とか書いている中で修業と書いていたので、珍しがられました(笑)
当時から精神的にも鍛えたいという思いがあったからですかね。創る会に対してもそういった思いでした。
(2022年度 第27期『経営指針を創る会』 受講当時の関さん)
―受講されてみて実際どうでしたか?
総じて受講して良かったです。あそこまで真剣に他人の会社に意見しあう場は無いですよ。
助言者の方々からの言葉は心に残っているものばかりですが、ある方に「父親がいつまでも生きてると思ったらいかんぞ、自分は話したいと思った時に死んでしまった」と感情的に言われたこと、他の方にも「お前は自己中だ」と指摘されたこと。
それまで生きてきて「もっと自己中になったらいいのに」と言われることが多かったので、最初はなんでそんなこと言われなきゃいけないんだと思っていたんですが、自分が悪気なく悪いことをしているのが一番悪いこと、そこに気づかせてもらいました。
「父親はいつまでもいるわけじゃない」この言葉がストンと自分の中に落ちたんですよね。
根っこにあるものは父親と同じなんですが、やり方・やれることが違って、納得いかないことも多くあり...。
正直それまでの親子関係は良いとは言い難かったんですが、自分の聞く耳が変化したことで素直に父親の話を聞けるようになりました。
相手を変える前に自分がまず変わらなければならないと気づくことができたんです。
受講して自分自身の変化が一番大きかったですね。特に対人に関しては、本当に相手のために言っているのかを今も考え続けています。
ー理念を作った際に一番こだわった点を教えてください。
先代の思いは人間性の部分にこめました。創業時に先代が作った経営理念「異体同心・共存共栄」。
違う部分(性別等、変えられない部分)をまず認め合おう、その上で心を一つにしましょう、という意味です。
人それぞれ体は違っても心は一緒になれる、表面的に違うところは認め合って、一つ屋根の下にいる家族のような関係性でありたい、そうあるべきだと思っています。
【今後の展望】
地域の過疎化だったり若者の減少が著しい現在、私たちの地域も例外ではなくて。
何か新しいことに挑戦していかなければという考えがあったんですよね。
そこから誕生したのが『バイク整備・販売専門店ビークルファクトリー』です。地元企業の中では品揃え随一だと自負しています。
コロナ渦でバイクが流行りだしてから県内・県外問わずお客様からお問い合わせいただくことが増えました。
―バイク専門店をオープンされてから約2年でそこまで支持されているんですね。
「自社で買ったものしか整備しない」というバイク業界の暗黙のルールみたいなものがあるんですが、最近はネットでバイクを購入されるお客様も多い中で、整備をしてくれる場が無いと悩まれる方が多くいます。
弊社では修理・整備だけでも請け負っているので、口コミで広がって有難いことに抱えきれないほどの仕事をいただいています。
自分が人のためにできることは何かを考えて仕事をしていかなければならないですよね。
―これからの展望などお聞かせください。
ずっと楽しいことをやり続けていきたいですね。
来年の春にはビークルファクトリーのショールームを拡大することが決定していますし、自動車屋がバイク屋をやるからこその意味だったり強みをもっとアピールしていけたらと。
(訪問日:2024年10月23日 文:事務局 岡本/写真:事務局 河﨑)