氷見支部
松木 功太 会員
松木 功太(2017年入会・氷見支部)
繋がりを大切に~経営者として氷見のために何ができるか~
創る会を受講して得たものとは
氷見を明るくしたいーーー考え続ける和菓子屋3代目の挑戦
事務局が企業訪問してきました
今回は、氷見支部に所属されている松木 功太さんの元へお邪魔させていただきました。
コロナ禍に開発されたサイクルようかんを皮切りに、テレビや雑誌などメディアへの露出も増え、
G7富山・金沢教育大臣会合では看板商品でもある蒸ヨンカクを提供するなど、県内外にどんどん認知度が高まっている同社。
そんな中、2023年に氷見市内のお餅屋さんを引き継ぐという新しい挑戦に踏み出された松木さんの現在の心境や、地域への思いなどをお聞きしました。
前回掲載させていただいた記事はこちらから↓
https://toyama.doyu.jp/member/000942.php
【事業内容・承継されたきっかけ】
氷見に戻ろうと思ったきっかけは、大学3年生の時に母が病気になり、自分も何か家族の力になりたいと思ったからです。
なので小さい頃から家業を継ごうと思っていたわけではありませんでした。
大学を卒業してから父の紹介で、石川県の津幡にある和菓子屋さんで3年間修業させてもらって、その後は家業(松木菓子舗)を父と共に切り盛りしていましたが、ある日突然父が亡くなり、自分が3代目としてお店を承継することになりました。
ー現在の松木さんは氷見高校の学生と商品開発されたり、地域にとって欠かせない存在となっておられますが、どういったことがきっかけで氷見に魅力を感じられたんでしょうか?
約7年ほど前に氷見の商店街でマルシェを開催したことがあります。
それも地域おこし協力隊の方と一緒に、移住者の方が氷見で商売するというのはどういうことかを知ってもらうきっかけ作りとして始めました。
商店街のお店1軒1軒に「こういう思いで今度マルシェを開催するんです」と伝えてまわりました。
その時ぐらいから、氷見に知り合いがどんどん増えて、氷見のこともどんどん好きになってきたように思います。
不思議なんですが、氷見の人はどんな人でもみんな理念を持っているような気がします。言葉の端々に、氷見の明るい未来のために、という思いを感じるんですよね。
そうやって何か動くことで自分自身楽しかったし、その時得られた人達とのご縁はとてもありがたく思っています。
―2023年に氷見市内の餅屋さん(日名田屋餅店)を事業承継されたきっかけを教えていただけますか?
もちろん氷見市内のお店ですので、日名田屋さんは昔から知っていましたし、祖父や父とも懇意にしてくださっていた方でした。
ですが、ご本人から直接事業承継の話をされたわけではありませんでした。後継者がいない、事業を今後どうしていこうかと悩んでいらっしゃるというお話はなんとなく耳にしていたのですが、私に何かできるとは思っていなくて。
そんな折、氷見で事業譲渡を望む経営者と後継希望者を結ぶマッチングサービス「氷見で継(つ)なぐ。」を運営するTomorrowWorks.さんとのご縁がありました。
日名田屋さんも当初東京の大手からの引き合いもあった中、ご自身が大切にしてきたものがなくなってしまうのではないかという懸念から、もう諦めようかと思っていたそうなのですが、TomorrowWorks.さんを始めとする地域の人の熱意に動かされ、積極的に企業情報を公開する形での事業承継に切り替えられたそうです。
その時、地域のみんなが日名田屋さんを地域に残そうと動かれている姿をみて、私自身も突き動かされました。
それで私が手を挙げさせていただいたのですが、果たして本当に認めてもらえるのか、とても不安でした。
実は9月の調印式当日も緊張していたのですが、日名田さんが周囲の人たちに「松木さんになら任せられる」とおっしゃってくださっていたのが本当に嬉しかったですね。
【同友会で学んだこと・学んで実践したこと】
2021年に受講した『経営指針を創る会』が自分の中での"ターニングポイント"でした。
当時コロナ禍で売り上げが激減、サイクルようかんの開発、そして日名田屋さんの事業承継が水面下で同時進行していた時期でした。
受講を決めた際、実は私自身は経営者としてそこそこやれているという自信があったんですね。他界した父から店を引き継ぎ、それでもなんとかお店を切り盛りできていると。
ですが、創る会を受講する中で、「自分ができていると思っていたことは、周りの支えがあってこそできていたんだ」と気づかされました。
(2021年度 創る会当時の松木さん。同期の皆さんとは今も定期的に交流があるんだそうです)
自社年表を書いたり、自分が大切にしていること・大切にしていきたいと思っていることを書き出したりする時、ずっと父や祖父や家族、取引業者さん、いつも来てくれるお客さんの顔が浮かんできました。
本当に自分は氷見という地域に助けてもらっているということを改めて感じました。
最終的に日名田屋さんの事業承継を決めたのも、近くに困っている人がいたら助けたい、そういう思いからだったと思います。
―同友会での学びが活かされていると思われることはありますか?
日名田屋さんを承継しスタッフも増えたことで、同友会で学んだことが今まさに活かされていると感じています。
今まで自分が見えている範囲は本当に狭かったんだなぁと痛感・反省しつつ、今はスタッフが増え、その家族までも常に想像しながら経営に向き合うように心がけています。
スタッフの皆さんは最年少が66歳の方で高齢の方ばかりなのですが、今後積極的に若い人の雇用を考えているかというと実はそうでもないんです。
年齢に関係なく就業規則や給与体系を整えていくことは急務ではあるのですが、それ以上に、年齢を理由に退職しなくてもいい会社を目指したいと思っています。
働きたいという意欲があれば誰でも働いてほしい。氷見も高齢過疎化している地域であることは間違いありません。
だからこそ、いつまでも働くことができる場が地域にあれば、それだけで誰かのハッピーにつながるのではないかなと思っています。誰一人取りこぼしたくないんです。
それも、同友会の大先輩でいつも「損得じゃないやろ、善悪やろ」と言ってくれる方がいて、それがそのまま自分の信念にもなっています。
【働く上で自分の中で大切にしていること】
自社がずっと大切にしてきた、繋がりを大切にしていくという思いは、日名田屋さんが大切にしてこられたことと合致していて。
新しく何かを変えていくにしても、それはリスペクトの上に成り立っていると思っています。
新商品を作る時に大切にしていることとして、まずは「誰を喜ばせたいか」というペルソナと物語を考えています。
弊店でお菓子を購入される方は「〇〇さんに喜んでもらいたい」という思い・想像をしているわけですよね。そういった部分まで考えてお菓子を作っていきたいんです。
私たちがやっていきたいのは、全国に流通させる物作りではなく、身近な人を喜ばせる物作りです。
だって近くの人が笑顔じゃないと、ね(笑)
【今後の展望・挑戦していきたいこと】
今年の元旦に起こった令和6年能登半島地震では、氷見も大きな被害を受けました。
とにかく地域の皆さんと共に氷見を明るくしていけるよう、自分は行動していくだけです。
お菓子に使用する材料費も、県産はそこまででもないんですが、外国産の価格はコロナ後から高騰しています。
取引業者の方々には販売価格を下げないようにとお伝えしているんです。取引業者も地域の方々なので、私にとっても地域にとっても大切な存在で、もしいなくなってしまうと大変です。
自分達だけが良い状況になったとしても、周りや地域が同時に良くなっていかないと意味が無いと思うんですよね。
今、同友会の氷見支部で志同じくする仲間と一緒に、氷見の耕作放棄地で無農薬のもち米栽培にも挑戦しています。
農業をやりたいという思いからではなくて、氷見のために自分ができることってなにかあるかな、の一環です。
とにかく氷見を明るくしていきたいんですよね。氷見が楽園になればいいな、と本気で思っています。
(訪問日:2024年10月3日 文:事務局 河﨑・岡本/写真:事務局 岡本)